2012/06/26(火)【2012年6月講座】川原尚行氏「明日の子供たちの笑顔のために」
[場所] 上尾市コミュニティセンター ホール
[講師] NPO法人ロシナンテス 川原 尚行氏
[テーマ] 「明日の子供たちの笑顔のために」
~スーダン・東日本大震災での活動~
[記録者] (株)レストラン開発 田中 浩氏
6月講座は、「明日の子供たちの笑顔のために~スーダン・東日本大震災での活動~」をテーマに川原尚行講師にお話しいただきました。
北アフリカのスーダン共和国は内戦が続き、現在でも紛争のある国です。日本とは全く異なる環境下にあって、政情が安定せずインフラの整わない村々には充分な医療施設もない。そのようなところに2005年、日本の外務省から派遣されていた川原講師は、一医師として何かできないかと考え、勤めていた外務省を辞職、NGO「ロシナンテス」を立ち上げ、「外務省の役人という立場では現地の人を診ることができない。目の前で倒れて行く人を見放すわけにはいかない。」との想いから、スーダンの人々の中に飛び込みました。
外務省の医務官だったが現地の患者を治療すると「ルール違反」になるそうです。
このため「日本人向け」の医療ではなく現地人を支援するために退職。
ご家族がいる中、年俸1700万円の地位を捨ててスーダンに生きることを決意しました。
川原医師は、アフリカで診療を続けて来た理由をこう語ります。
「もちろん貧しいんです 向こう(アフリカ)は。
電気も水道もなくて…
でもその貧しさの中にも なんか光が見える。
何かがあるからこそ 光ってる。
でも日本に帰ってくると、日本は何でもあるけど、
“何かがない”って気がする。
アフリカで見つけた“希望の光“。
すべてが不自由なこの被災地でも、
”絶対に希望を捨ててはいけない”。」
外務省職員を辞めようとした時の心境、
『このまま目をつぶって他所に行っても良かったんでしょうけども、それが出来なかった自分がある』
川原氏の活動は、医療のみの活動に留まりません。
水・衛生問題、保健教育、学校教育、産業育成など多岐に構想は広がります。
また、九州大学とスーダンの研究所との学術協定も締結されました。政治的、宗教的なものを乗り越えて、学術交流が成功することに尽力しています。
一医師の範疇を越えている感じですが、川原講師が周りを引き寄せて円滑に物事を進めるときに周囲の方々が助け、環境が整い出す感じでした。言葉や宗教の垣根を越えた命懸けの人間同士の信頼関係が、川原講師の為に何かをしたい気持ちにさせてしまうのでしょう。
帰国滞在していた2011年3月11日は、『東日本大震災』が発生。医師の立場から何とかしたい気持ちから看護婦を伴い、未曾有の災害のため、現地入りし、医療・災害復旧ボランティア活動を行いました。
川原講師は 3月11日、都内でアフリカより招聘したスーダン人医師との会議中に、東日本大震災に遭遇し、当初の予定をすべてキャンセルして、翌12日にはスタッフの看護師らとともに借用の救急車で被災地に向かいました。東北をM9の大地震と津波が襲ったその時、川原講師は偶然にもスーダンから帰国中だったのです。
川原講師は、東北の惨状をニュースで見るなり 「日本は今たいへんなことになっている」と、一緒にスーダンに行く予定の看護師を伴い急きょ救急車を借りて、2日間をかけ宮城県名取市に駆け付けたのでした。
多くの被災者が避難している名取市閖上地区避難所にて、その日のうちに診療を開始したのです。川原講師の心は、「ここはアフリカと一緒だ!みんなが元気になるまでいよう」と多くの患者に安心を与えるために決意、それはスーダンからずっと持ち続けた「信念」だったのです。
さらに、津波が来たとき多くのお友達が津波にのみこまれるのを目撃した「子供たちの心のケア」には診療以上に全力で取り組んでいます。
14日に宮城県名取市に到着後は、直ちに医療支援活動を実施。
名取市(館腰(たてこし)小学校、高舘(たかだて)小学校)、岩沼市(ビッグアリーナ)の各避難所で巡回診療にあたりました。また、岩沼市の玉浦地区では、全国から駆けつけた多くのボランティアとともに「がれき撤去」の作業を行い、名取市の避難所では各種イベントを開催し、被災者の心のケアに勤めました。
子供の心の中に出来てしまった大きな心の傷。そんな子供たちが、明るくなることができれば、その元気に引っ張られ大人たちも自然と明るくなる。 だから川原講師は、時間を使って子供たちと身体を使って一生懸命遊んだのでした。
子供たちも川原講師を「普通のお医者さんではやってくれないことまでやってくれる。優しい いい先生で 大好きです」という評しています。
川原講師は、子供たちを主催者にしてイベントを開催。「ふるさと」「翼をください」などの歌を全員で合唱することで、被災地でみんなの心を繋いだのです。
その間、地元の方々や多くのボランティアと共に、瓦礫撤去・寺子屋事業・新聞発行等、様々な活動を行ってきた。
宮城県名取市の閖上の方々が避難する体育館で医療活動を始めたのが、今まで継続する活動の原点となっています。活動を継続していく中で、閖上小学校に通う子供たちと、仲良くなっていきました。
避難所が学校ですので、各教室にも避難された方々が入っています。
その中で、子供さんのいる教室の方々がおっしゃっていたのは、
「子供は、泣いたり騒いだりもするけれど、子供たちのはしゃぐ声や笑顔で癒された。子供のいる教室でよかった」
というものです。
子供さんのいない教室は、それは静かで整然としていますが、何となく暗いといったイメージでした。
そして、子供たちに避難所を明るくしてもらおうと、各種のイベントを重ねていきました。
コンサートをしたり、避難所の間仕切りに絵を描いたりもしました。
本当に避難所が明るくなっていきました。
そして、この避難所の方々とお花見をしました。
大変な災害があった後で日本全体が自粛モードでしたが、被災地から日本を明るくしてもいいんじゃないかと考え、
川原氏は避難している方々とも相談し、「ぜひやりましょう!」となり、花見となりました。 本当にきれいな桜の花を愛でることが出来ました。
みんなで惨状を憂う悲しみじゃなく生きる喜びを伝えるように
川原講師自らが、大いに酔って被災者の皆さんと楽しそうにしている様のスライドを見たとき、素直に笑顔になれました。
その後、子供たちと閖上(ゆりあげ)のシンボルである日和山に桜の木を植えました。 「この桜の木が大きくなって、またお花見しようね」との約束も。
、
多くの命を失くしたのですが、そこから小さな命を育んでいこうと思いました。 「桜に名前を付けましょう」、と子供たちと一緒になって考えました。
そして、「閖上桜」と名付けました。
川原講師は、現在禁酒中だそうです。
20年後にもう一度この場所でお花見するために…その時は酔いつぶれて死んでもいいと言っていた川原講師の笑顔は忘れられません。
最後にハチドリのお話がありました。
森が大火事で動物たちが、我先に逃げ惑う時にハチドリが小さな口ばしに水を含み消火活動をしている。その姿を見ている動物たちが「そんなことをしてもどうにもならないぞ」と笑っている。しかしハチドリは、僕に出来ることをやるんだ。と
結果も大事だけど、恐れない行動と勇気を持ってほしい
明日の子供たちの為に
上尾コミュニティ―ホールで塾生以外にも受講ができるオープンカレッジスタイルで約300名収容した今回の受講は、医療関係者や近郊の高校生など様々な方々に感銘を与えて終えることが出来ました。